先日、某王国にてこのような物を入手いたしました。
これは、知ってる人は知ってるのですが、パンクの聖地ロンドンのキングスロードにあったジョンソンズという店で販売されていたラ・ロッカというブランドが80年代に出していた物で、A-2タイプのフライングジャケットの背面に縫い付けられていた、フエルトとレザーで作られたパッチです。
もっともこれは、その世界では有名な人物によって忠実に再現された復刻ものなのですが、良くできていて、本物さながらの迫力です。
本当にかっこいいですね。惚れ惚れしてしまいます。
僕は、このラロッカのフライングジャケットには実に20年以上もあこがれ続けていたのです。
当時、中学生だった僕は、勇気を出して入った名古屋栄のアストアロボットで初めてこのパッチの付いたフライングジャケットを見て、そのデザインに、衝撃を受けました。
デザインはこの蝙蝠だけでなく、骸骨のパイロット、桜をバックにした戦闘機、あとは骸骨にハートと蛇の組み合わさった物と、4種類あるのですが、それがラックに何着も吊るしてあって…。
当時、ロボットに入ることはとても勇気の要ることでした。
どうしてかというと、それは店員さんが怖いからです。
当時中学生だったガキの僕にいらっしゃいませ、なんて、絶対に言ってくれず、ひたすらメンチを切り続けられるのです。
でも、パンクファッションの総本山であったその店に、僕はどうしても行きたくて、毎回勇気を振り絞って店員さんのメンチをひたすら避けながら入っていたのです。
それで、そのジャケットと遭遇したのでした。
何着も吊るされていたフライングジャケットは、10何万という正札がかかっており、試着はおろか、触れることすらできませんでした。
なので、いつも行くたびに、遠巻きに眺めていただけだったのですが、中学の何人かの不良の先輩達は、それを着ていたのです。
先輩といえど、たかだか中学生の先輩達がどうやってそんなに高価な物を着ているかさすがに不思議でしたが、友達から聞いた噂だと、どうやら、盗んだり、奪ったりしているみたいでした。
僕はますます怖くって彼らには近寄れなかったし、そのせいで、ラロッカのフライングジャケットを着る、ということ自体がもう僕の中で、それらのリスクを乗り越えた者だけに許された特別な、ある種の神聖な行為にまで昇華せられていたのでした。
当時、フライングジャケットだけでなく、ラバーソールやドクターマーチンのブーツなども、そういった「狩り」の対象で、それらはやっぱり、特別な者だけが着用することを許された、神聖なアイテムだったのです。
思えば物騒な時代でしたね。今ではあんまり想像もつきませんが、それらは本当にあったことです。
その証拠に、今回僕がこれを手にしたのは初めてのことです。もっとも、パッチ、それも一部のみで、完全な物ではないですが。ちなみに、ラバーソールも、最近初めて手に入れ、マーチンに至っては未だに履いたことがございません。
なので、僕はとてもうれしいのです。
これにふさわしいジャケットを選んで、オリジナルで作ってみるつもりです。ちょっとわくわくしますね。何せ20年の執念が篭っておりますから。
現在のファッションというのは、基本的にお金を出せばなんでも安全に手に入る物ばかりです。
その代わり、かつてのラロッカのように奪われる程の魅力があるかといったら、それは分かりません。
ラロッカのフライングジャケットは、未だに10万円以上で取引きされ、値段が下がることがありません。
それはやはり、かつてそれを手に入れる為に大変な苦労や危険があったことと無関係ではないでしょう。今そんな服やショップ、ブランドがあるでしょうか?
せいぜい開店前に並んだり、ローンを組んだり借金したり、その程度ではないでしょうか。
そういった物騒なことを肯定するわけでは決してありませんが、何やらそれらの怨念のような物がこもった気合の入った洋服やショップ、20年も30年も魅力的であり続ける普遍的なファッション。着続けられる洋服。
そういったものが、僕は好きです。
今の時代にはあんまり見当たりません。
それっぽい物は無数にあります。
だけど、それらは数年たてば消費され、消えていってしまう物ばかりです。気迫が感じられません。
決して回顧主義に浸るわけではありませんが、もう一度、そういった気合の入った洋服や店が出てきてほしい物です。
入るのも勇気がいるような。
決して、「いらっしゃいませ」なんて、言われないような。
たしかに 私も40歳ですが 当時札幌にBLACKと言うPUNK一色の店があったのですが 田舎の中坊には敷居が高すぎる場所でした あの緊張感はもう二度と味わえる物ではないでしょうね LAROCKAのパチ物も結構あちらこちらで売っていました。
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