人に何かを分かってもらおうとするのって、本当に難しい作業だと思う。
どうしてってそれは、僕とあなたは違う人だから。それに尽きると思う。
でも人は、何かを共有していかないと、日常生活や仕事の実務的な面でも、もっと個人的な関係の面においても関係が成り立たない、つまりは、他人と分かり合わなければ生きていけないということになっている。
僕は自分を決して特殊なタイプだと思っておらず、むしろ一般的な感覚の持ち主だと思っているんだけど、本当に言いたいことや伝えたいことがなかなか他人に伝えられない。百万語を使って一晩中語り明かしたって、そのうちのほんの一行すら伝わっていなかった、むしろ全くの誤解で以って相手に認識させてしまったなんていうのは、良くあることなのだ。
でも、店をやっていて、偶然入って来られた方に、凄く喜んでもらえることがたまにある。百万語を駆使しても伝えられなかったことが、入店後数分でスパン!と伝わってしまったかのように。
そういう時僕は、言葉の無力さと限界を痛感するんだけど、店をやるっていうことは、ひょっとすると表現方法の一つなのかもしれないということを、認識させられた。
絵を描いたり、曲を作ったりするのと同じように。
そして、僕の思っていることや伝えたいことの一部でも共感してもらえたことに、カタルシス的な快感を覚えるのだ。
そういうのって初めての感覚で、店をやるっていうことにそういう喜びが潜んでいるなんてことは、今回自分がカタチだけでも店を始めたことで、初めて知ることができた事実だった。
僕がやってる店は、パンク、ってのが一つのテーマになっている。
何故パンクかっていわれるとはっきりと分かんないんだけど、とにかく気に入らないことだらけだったからだ。
何が気に入らないかっていわれると、これまたはっきりとは分かんないんだけど、多分それは僕がパンクに初めて出会った中学の頃にまで遡ることになる。
セックスピストルズ、というバンドを知った。ひどい名前だと思ったし、聴いてみたら曲もバンド名に負けず劣らず酷いものだったのでとてもびっくりした。
当時中学生だった僕は、学校のルールだとか先生や親の言っていることなんかは絶対的なものだと思っていて反抗するなんて選択肢は考えもつかないような学生だった。しかし、漠然と違和感は感じていたみたいで、変な校則なんかを押し付けられる度に何か変だな、とは思っていたんだけれども、それを訴えることなんて当然考えもせずに、無意識のうちに自分の中でそのまま胸の奥へ追いやって無理やり蓋を閉めていたのだと思う。そんな作業を繰り返す毎日だった。
そこで出会ったのがセックスピストルズだった。
もう歌い方から何から何まで滅茶苦茶で、思わず目を背けたくなるような感じだったんだけど、何かそれまで経験したことのないような気持ち良さを感じたのだ。
ああ、こんなこと言ってもいいんだ、こんな歌い方でいいんだ、こんなボロボロの服着たっていいんだ、それはそれまで僕の胸の内に知らず知らずに溜め込まれていたもやもやとしたものを、全部ブチまけてくれるような気持ち良さだった。
それ以来僕は、考え方が変わった。今まで自分の感じていた違和感は決して間違いなんかではなく正常な感覚で、それは表現してもいい、いや、むしろ表現すべきことなのだ、と、セックスピストルズに教えられたのだ。
親も先生も誰も教えてはくれなかったことを。
そしてそのまま大人になった。