つい最近、ユーチューブに92年に名古屋クアトロで行われたニルバーナのライブ音源がアップされていて、それを聴いた。ニルバーナに初めて出会ってもう20年以上経っている今のぼくだけど、それは何だか初めて聴くバンドみたいに新鮮で衝撃的だった。
92年というのは多分、バンドにとって絶頂からすべり落ちつつある時期だと思うのだが、その演奏は、活きたバンドのそれだった。全部知ってる曲だったけど、初めて聴くみたいに新鮮だった。明らかにCDなどの音とは違う。
ニルバーナ、カートコバーンに関してはもうこれまで、散々本も読んだし映画も見た。いろんなうわさやゴシップなんかも聞いたりした。でも、それら全部をひっくるめてもこのライブから伝わってきたものは全く違うものだった。彼について今まで感じたことのない新しい感覚。
彼は、ほんとに注目されたり有名になったりするのに耐えられないタイプだったのではなかろうか。まあ、言い古されたもっともポピュラーな感想かもしれないが。
ただぼくは改めて、彼は、本当に純粋に演奏して、バンドで歌いたかっただけなのではないか。と、感じた。
元セックスピストルズのジョンライドンが彼について言及していた。
奴は子供もいたのに自殺なんかしやがって。なにが病める魂だ。そんな奴を英雄視するのはとても馬鹿げている、と。
それを聞いてぼくもなるほど、と思ったし、ぼく自身数年前からそんな風に思ってもいた。そしてニルバーナの音楽を利己的で幼稚なものに感じるようになり、あまり聴かなくなっていたし、聴いてもあまり心に響かなくなっていた。
それが、今回突然アップロードされた当時のライブを聴いてみたら、まるで死んだはずの彼がそこにいるかのように、彼の思いや感情みたいなものがビンビン伝わってきた。純粋に、演奏しているときの彼は子供がいたとか病める魂、数々の奇行や問題行動などとは全く無縁だったのではないか。
そもそもぼくはニルバーナが嫌いだった。まだ十代の頃、当時よく遊びに行っていたクラブなどでよくかかっていて、みんな凄く盛り上がっているのだが、もともとハードロックやヘビメタが嫌いなぼくはニルバーナの音楽は全部そんな風に聴こえ、いったい何がいいのかどこが新しいのか、さっぱり分からなかった。
でもそれから何年かして、世界周遊一人旅に出た旅の途中、忘れもしない秋の中国の肌寒い田舎町の安ホテルで一人、町の小さな海賊版しか売っていないレコードショップで何の気なしに買ったニルバーナのカセットテープ(20年ほど前で当時はカセットテープしか売ってなかった)を、少し早回り気味のこれまた中国製のポータブルカセットプレイヤーで聴いたとき、ニルバーナの曲が、カートコバーンの歌声が、そのときのぼくのこころに不思議なぐらい染み渡ったのだ。
さびしくて、不安で、先の見えない旅だった。知り合いも誰もまったくいない秋の中国東北部の田舎町。枯れ木の立ち並ぶレンガ色の建物のむこうに、見たこともないぐらいおおきな濃いオレンジ色の夕日が沈んでいく。その夜、ホテルの部屋のベッドで、ぼくはひざを抱えてニルバーナを聴いていた。
それ以来、その後の旅の道中、本当に擦り切れるぐらいそのテープを聴き続けた。彼らの音楽やスタイルの新しさというものはそのときもあまりピンと来なかったが、ただ、彼の歌声と演奏は、確かにぼくの心に響き渡った。
そして今回、冒頭のユーチューブを聴いたら、その当時の感覚とはまた違う、まったく新しい、むしろいきいきとした快活で新鮮な印象を感じたのだ。悲壮感などまったく感じさせず、本当にステージを楽しんでいる様を。そんなカートコバーンの印象はこの20年で初めてのことだったので、ちょっと衝撃を受けた。病める魂も、ベッドでひざを抱えているぼくも、そんなものどこにもいなかった。
この世に何かをやりにくる為だけに生まれてきた人というのは、本当にいると思う。それしかやれない人というか。他のことはまったく何にもできないけど、あるひとつのことをやるためだけに生まれてきた。地上に降りてきた。
カートコバーンという人は、まさにそんな人だったんではないだろうか。
病める魂。己のアートに殉死した悲劇の英雄。
そんな周りの感想よりもなによりも、彼はただ、純粋に、ステージの上に立っているべき人、立つしかなかった人なのではなかったのかと、ぼくはそう思うに至った。