大学のゼミの授業で、ロバートメイプルソープの写真を見せられた。
こういった、花のポートレイト。
モノクロで、とても静かな感じの印象が、ずっと残っていた。
あんまり詳しく知らなくて、その後、ある写真を見て、改めて彼の写真に触れることになった。
それがこの写真。
彼自身と、NYパンクの女王と呼ばれる、パティスミスとのツーショット。
この写真を見たとき、この写真から色んなドラマを思い浮かべた。
微笑みながら女を見つめる男、それを少し不安そうに見返す女。
NYの安いアパートメントの共用階段の踊り場、貧しいけれど、夢と希望を持った二人にとって、そんなことは大した問題ではなく、二人だけの愛の世界を強く生き抜いている、でもとことなく、終わりの予感も感じさせられる…と、いうような…。
一つの、はかなく確かな愛の形が表現されているようで、大変印象深かった。
そこでこの写真がメイプルソープのものだと知り、先の大学時代の授業のことを思い出したのだ。
僕の中では、こういった抽象的で感覚的な写真のイメージが多かったのだが、調べてみるとかなりセクシャルで背徳的な作品もあるようだ。というか、むしろ、そちらが彼の核となっている部分で、それらを恣意的に表現したのがこれらの花の写真であると言った方が近いのかも知れない。
あまりにも過激なものが多いため、ちょっとここに載せるのは避けておくが、それらの写真の中でこれらの花を見ていると、なるほど、テーマとしては一貫しており、違和感なく、その背徳的でセクシャルなイメージの中に溶け込んでしまう。
彼の作品には、どれも、静的な美しさがある。
時間の制止したような。
それは、死の世界、といってもいいかもしれない。
死と、背徳的なセックスとが合わさった、ギリギリの美しさ。
一歩間違えたらグロテスクなB級ポルノになりかわってしまうような、そんな境界線を危うく突き進んでいるような、そんな世界観。
実際、彼は90年代に入る直前、その当時の多くの現代アーティストがそうであったように、エイズで死んだ。
今僕が、なぜ、彼のことと彼の作品を思い出したのかはっきりとは分からないが、ふとした瞬間、彼の花の写真が、時折脳裏に浮かぶのだ。
それでかも知れない。
でも、どうしてそれが浮かんでくるのかは、やっぱり良く分からないのだけれど…。
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