『スティッキーフィンガーズ』

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2012年8月25日土曜日



「智はこれからどうするの?」

「え、ああ、飯喰いにいくよ」

「ハハハ、違うよ、この町の後だよ、旅の話」

「ああ、そうか、そうだね、ジャイサルメールに行こうと思う。ラジャスターンの町をいくつか回って、それからデリーへ行くつもり」

「俺らもこれからデリーに向かうつもりだよ、その後マナリーに行く。もうすぐシーズンだしね。まあ、まだ当分ここにいるだろうけど」


 欠伸をしながら心路が横から口を挟んだ。直規はその様子をちらっと横目で流し見た。


「智はずっと旅してるんだよな。もうどれぐらいになるんだっけ?」

「一年ぐらい」

「凄いよな、一人で周ってるんだろ? 大変じゃない、何で? やっぱ旅は一人に限る? ハハ」

「俺の場合はね。そうかもね。あんまり協調性が無いから。でも、どこ行ってもツーリストはいるし、本当に一人にはなかなかならないよ。ほら、今だってこうやって話してるし」


 直規は、成る程な、と真顔で頷きながら、もう終わりかけのジョイントを心路に手渡した。心路はそれを指の先で器用に挟んで一気に吸うと、灰皿で揉み消した。


「智は旅してて楽しい?」


 心路が智に訪ねた。


「どうかな……。楽しいんだけど、大変なことの方が多いと思う。やっぱり色々不安だし、自分がしっかりしてないとどうなるか分かんないし、別にどうなったっておかしくない状況はいっぱいあるし……。体だって壊すからね。大変だよ。
 心路達も経験あると思うけど、全然かかったこともないような病気にかかったりすると物凄く不安になるだろ? 特にそれが一人だと、このまま死んでも誰にも発見されないんじゃないかとか、色々考えちゃうんだよ。
 それに、日本のことはいつだって頭にある。ああ、帰りたいなって常に思ってる。楽しめるようになってきたのなんて、本当、最近になってからのことだよ」

「ハハハ、じゃあ、何で旅してるの?」

「何でかな? 知らないものを見るのは刺激はあるよ、やっぱり。
 でも俺は、自分を変えたかったていうのが一番大きいかもしれない。日本にいる時には、旅に出るしかないってずっと思ってた。日本から出たいってずっと思ってた」

「そうか……。俺とか直規君は、ゴアや、パーティっていうのが目的みたいなもんだからなあ……。智とはちょっと違うな。でもそうやって色んなとこ旅するっていうのは面白いんだろうな、やっぱり」


 心路は天井からぶら下がる裸電球をぼんやりと見つめている。それは、微風に吹かれて微かに揺れていた。


「レイヴやパーティっていうのも凄いけどね。俺は、最初、テクノやトランスみたいな音楽には凄く抵抗があって、そんなの行くもんかって思ってたんだけどやっぱり興味はあったみたいで、結局ゴア行って、で、心路達に再会して……。
 一緒にパーティー行っただろ? あの時のことは忘れられないよ。夜のビーチで波の音と大音量のトランスミュージック、銀色の満月。全然ミスマッチなのに何故か違和感をあまり感じない。それどころか、妙な調和のようなものすら感じた。あれは一体何だったんだろう? それまで味わったことのない、不思議な感じ。
 夜がだんだん明けていって、周りで踊ってる奴らが次第にはっきりと見えてくる。砂埃りとともに朝日が昇る。みんな泥まみれで踊ってるだろ。何か凄く、原始的で宗教的なものを感じた。あんな感じは初めてのことだった。そう、何か得体の知れない一体感があったんだ」

「智、凄かったもんな。輪のど真ん中でガンガン踊ってたもん。俺は難しいことは良く分かんないけど、あの場にいるのが好きかな。何か、楽しいと思う」

「あの時は、初めてバツ喰ってパキパキにキマッてたから……。自分でも訳分かってなかったよ」

「でも智はいつもだぜ、ガンガン踊ってるよ」

「それだけ強烈だったってことだよ。俺の中で何かが変わったっていうのもあるかも知れない。テクノっていう音楽に対する偏見みたいなものもあんまり無くなったしね。実際良く聴くようになったよ」

「ハハハ」


 俯きながら心路は軽く笑った。


「智はここに何日ぐらいいる予定?」


 直規が言った。


「そんなに長くはいないと思う。三四日ぐらいかな。まだはっきり決めてるわけじゃないんだけど……」

「そうか……。でもデリー辺りでまた会うんだろうな、きっと」

「ハハハ、多分ね。でもまだ今日会ったばかりなのにもう次に会うときの話し
てるのは、ちょっと気が早すぎない?」

「そうだよな、早すぎるよな、ハハハ」
 



 会話が一旦途切れると、沈黙がしばらく三人を包んだ。夕方になって部屋の中は薄暗く、天井で回っている大きなファンのグォングォンという規則的な音だけが、静かに響きわたっている。大気中には、もうもうと焚かれる蚊取り線香の煙と、粘ついた汗の臭いとが充満し、その中の三人は、まるでそれらに捕われているかのようにぼんやりと何かを見つめ続けていた。
 大麻の煙の残り香は、ゆるやかに三人の嗅覚を刺激して、そのまま天井で回り続けるファンによって静かに撹拌されていた。


 結局そのまま何をすることもなく時間は経った。すっかり夜も更けて、裸電球の薄暗い灯りだけが侘びしく灯っている。


「直規君、そろそろ時間だよ」

「ああ」


 直規は、寝転んだ姿勢のまま、面倒臭そうに返事をした。


「ところでそいつ、幾らって言ってた?」

「確か千ルピーだって……」

「グラム?」

「ああ」

「値切ってみた?」

「一応ね」

「一応ってどういうことだよ、二グラム買うんだからちょっとは安くできるだろ?」

「でも、言い値は千五百だったよ」

「まだいけるよ」

「え?」

「もっと安くなるよ。グラム、千って言ったらヘロイン買える値段だぜ、絶対もっと安くなるよ」

「そっかぁ、まあその辺は直規君に任すよ」


 心路は、ペットボトルの容器で作ったマリファナ用の水パイプをいじりながら話をしている。直規は、その様子を横目で眺めながら、しっかりしてくれよと言わんばかりに、はぁ、と小さく溜め息をついた。


「どう、それ直った?」

「ああ、何とかなりそうだよ。どうしてもここから水が漏れてくるんだけど、ロウを溶かして固めたら、大分良くなった。多分これでいけるよ」


 直規は、納得したように頷くと、智に向かってこう言った。


「智、俺ら凄ぇクサ持ってんだよ、キメてみる?」

「どんなの?」

「アムスのクサだよ。バイオテクノロジーを駆使して作った科学の子だよ。ほら、見てみ、このバッズ、粉だらけだろ?」


 直規は、小さなパケットに入ったそれを指でつまんで軽く振ってみせた。



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