『スティッキーフィンガーズ』

現在連載中のオリジナル長編小説です!不定期更新ですが、『スティッキー・フィンガーズ』こちらより全編を500円でご購入頂けます。何卒よろしくお願い申し上げます。instagram @harauru
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2012年1月30日月曜日

The Vintage Garden X Loop The Doopオリジナルレザージャケット









先達てのブログに書きました例のスカルパッチが「Loop The Doop」の手によってこのようにカスタマイズされました!


ぶかぶかだった当時物小の字ジップジャンをリサイズし、ぴったりフィットに、そして裏地には大胆にも初期のジョンソンズスカルシャツをぶっ潰して使用!!!

無理言って、ポケットの中にも使ってもらうという贅沢仕様!!!

そして背中には、このジャケットには貼らん方がいいよという複数のアドバイスを押し切って貼ってもらったコウモリパッチが!



うーん。長年の夢だったので、大目に見てください。

最初はワッペンとかスタッズとかベタベタにしたろうと思っておったのですが、思いの他きれいに仕上がっておるので、何だか迷ってしまいますが、それでもパッチの上下に何らかの形で字を入れる予定ではあります。

黒の帯に白の文字なんかはいかがでしょうかね?

まあ、じっくり眺めながら検討しようと思います。



Loop The Doop、近日中始動予定ですので、革ジャンのリサイズ、カスタム等ございましたら是非ともご相談下さいませ!

お待ちしておりますm(__)m





続きはこちら!The Vintage Garden X Loop The Doopオリジナルレザージャケット#2

2011年10月30日日曜日

ババ・バッグ





ババ・バッグというものがありまして、ババというのはインドにいる修行僧のことをいうんですが、その人たちが、こんなバッグを作っているのです。






ひげも髪も伸び放題で、ぼろぼろの服を着たおじさんがこんなかわいい物を毛糸で編んで作るのだから、何だかおもしろいです。

僕は、かつて2年ほど世界を旅して回っていた時期があって、その途中、インドにも半年程滞在していました。

そのときこのババ・バッグを買ったのです。






ババ・バッグは面白く、こんな風に小さなショルダーバッグなのですが、中には仕切りがものすごくたくさんあって、さらに外側には上の写真のように隠しポケットが多数存在します。

これは、ほんの一部で、このバッグだけで他にも10カ所ほどあります。

何を隠すかは…。インドの修行僧はとにかく煙が好きですからね。

まあ、そういったものでしょう。



実際これの使い道、ってなかなかないんですが、ちょっと手放せない逸品ですね。

大変気に入っております。



2011年9月20日火曜日

「地獄の季節」 アルチュール・ランボオ





かつては、俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。 


 ある夜、俺は『美』を膝の上に坐らせた。---苦々しいやつだと思った。---俺は思いっきり毒づいてやった。 


 俺は正義に対して武装した。 


 俺は逃げた。ああ、魔女よ、悲惨よ、憎しみよ、俺の宝が託されたのは貴様らだ。 


 俺はとうとう人間の望みという望みを、俺の精神の裡に、悶絶させてしまったのだ。あらゆる歓びを絞殺するために、その上で猛獣のように情け容赦もなく躍り上ったのだ。 


 俺は死刑執行人らを呼び、絶え入ろうとして、奴らの銃の台尻に咬みついた。連枷を呼び、血と砂とに塗れて窒息した。不幸は俺の神であった。泥の中に寝そべり、罪の風に喉は涸れ、しかも俺が演じたものは底抜けの御座興だった。 


 こうして春はむごたらしい痴呆の笑いをもたらした。 


 ところが、ついこの間の事だ。いよいよ最後のへまも仕出かそうとなった時、俺は昔の宴の鍵はと思い迷った、存外また食気が起こらぬものでもあるまい、と。 


 慈愛はその鍵だ。---こんな考えが閃いたところをみれば、俺は確かに夢を見ていたのだ。 


 「お前はやっぱり鬛狗でいるさ……」などと、いかにも可憐な罌栗の花で、俺を飾ってくれた悪魔が不服を言う。「死を手に入れる事だ、お前の欲念、利己心、七大罪のすべてを抱えて」 


 ああ、そんなものは、もう、抱えきれぬほど抱え込んでいるよ、---ところで親愛なる悪魔、お願いだ、そんな苛立たしい眼つきをしないでくれ。ぐずぐずしていれば、いずれ、しみったれた臆病風に見舞われる、どうせ貴方には作家の描写教訓の才などというものはご免だろう。俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五、六枚、では、貴方に見ていただく事にしようか。 







2011年8月16日火曜日

Robert Mapplethorpe(ロバート・メイプルソープ)













大学のゼミの授業で、ロバートメイプルソープの写真を見せられた。

こういった、花のポートレイト。

モノクロで、とても静かな感じの印象が、ずっと残っていた。

あんまり詳しく知らなくて、その後、ある写真を見て、改めて彼の写真に触れることになった。















それがこの写真。

彼自身と、NYパンクの女王と呼ばれる、パティスミスとのツーショット。

この写真を見たとき、この写真から色んなドラマを思い浮かべた。

微笑みながら女を見つめる男、それを少し不安そうに見返す女。

NYの安いアパートメントの共用階段の踊り場、貧しいけれど、夢と希望を持った二人にとって、そんなことは大した問題ではなく、二人だけの愛の世界を強く生き抜いている、でもとことなく、終わりの予感も感じさせられる…と、いうような…。

一つの、はかなく確かな愛の形が表現されているようで、大変印象深かった。

そこでこの写真がメイプルソープのものだと知り、先の大学時代の授業のことを思い出したのだ。





























僕の中では、こういった抽象的で感覚的な写真のイメージが多かったのだが、調べてみるとかなりセクシャルで背徳的な作品もあるようだ。というか、むしろ、そちらが彼の核となっている部分で、それらを恣意的に表現したのがこれらの花の写真であると言った方が近いのかも知れない。



















あまりにも過激なものが多いため、ちょっとここに載せるのは避けておくが、それらの写真の中でこれらの花を見ていると、なるほど、テーマとしては一貫しており、違和感なく、その背徳的でセクシャルなイメージの中に溶け込んでしまう。


















彼の作品には、どれも、静的な美しさがある。

時間の制止したような。

それは、死の世界、といってもいいかもしれない。

死と、背徳的なセックスとが合わさった、ギリギリの美しさ。

一歩間違えたらグロテスクなB級ポルノになりかわってしまうような、そんな境界線を危うく突き進んでいるような、そんな世界観。




















実際、彼は90年代に入る直前、その当時の多くの現代アーティストがそうであったように、エイズで死んだ。


今僕が、なぜ、彼のことと彼の作品を思い出したのかはっきりとは分からないが、ふとした瞬間、彼の花の写真が、時折脳裏に浮かぶのだ。



それでかも知れない。

でも、どうしてそれが浮かんでくるのかは、やっぱり良く分からないのだけれど…。




2011年8月9日火曜日

Talking about ANDY WARHOL 59セントのラストサパー

アンディウォーホールには結構というか、かなり影響を受けていて、学生の頃に論文を書いたほどだ。

彼のクールかつニヒリスティックなスタンス、作品の、どぎついカラーリング、なんかカッコよく感じて、惹かれていた。












こんな感じのスカルとか。

なんか、耽美的で、退廃的で、かっこいい。

当時、シルバーファクトリーと呼ばれたアトリエには、さまざまなフリークス達が集まり、それが当時のニューヨークアンダーグランドカルチャーの最先端そのものであった訳で、その奇抜なファッションや、堕落したライフスタイル、なんか、アーティスティックでカッコよく、当時の僕は、強烈に憧れた。

そんな風になりたかったし、自分はそうなるべきだと思っていた。
僕にとって最高にかっこいい世界だった。


でも、ウォーホールにとって、果たして、そんな生活は、どうだったのだろう。

彼は、死ぬまで、ずっと仕合わせだったろうか。

シルバーファクトリーも60年代の絶頂期を過ぎ、70年代も後半になると、必然的に崩壊し、メンバー達は、その歴史とともに消えていった。そして、ウォーホールだけが生き残った。銃で撃たれはしたけれどね。

そこからが、ひとつの転機になったんだろう。

その後、彼は、会社を設立し、ビジネスとして有名人などのポートレイト制作に没頭した。

ミックジャガーや、ジョンレノンなどのポートレイトも作品として残っている。

でも、僕は、それらの作品はそんなに好きじゃあないんだな。

まさに大量生産大量消費のシステムにのっかって、シルクスクリーンを乱発していった。

彼にとっての80年代とは、とても不毛なものだった、と、僕は思う。



今になって、僕が彼の作品で一番好きなのは、彼が、まだ、コマーシャルアーティストだった時代、最初期の作品達。

この間、訪れたお客さん家の玄関にたまたま飾られていた緑の猫のペインティング。

繊細なタッチの。




こんなのが、好きなんだ。

あとは、天使達とか。





ね、かわいいでしょう。


同じ人が描いているとは、とても思えません。


でも、最晩年。

僕は実際に展覧会で観たのだけれど、その最後に飾られていた一枚のシルクスクリーン。












これを観たとき、ああ、やっぱりこの人はアーティストだったんだな、と、自然に、深く、納得させられました。

元ネタは、ご存じの通りレオナルドダビンチの最後の晩餐ですが、それをトレースし、ウォーホールの手法により版画化する。

59セントの刻印をつけて。

どういう意味かは分からないし、彼は作品についての解説など絶対にしないので分かるよしもありませんが、なんか、これこそ、ポップアートの神髄を見せつけられた気がして、ちょっと立ち止まり、しばらく動くことができませんでした。




僕は、ポップアートの感覚が、好きです。

なんか、反抗的で、不良っぽくて。

反発する若者の感性に近いのかな。

そんな気持ちを、忘れずに、一生、生き続けたいな、と思います。

アンディウォーホールのようにね。