『スティッキーフィンガーズ』

現在連載中のオリジナル長編小説です!不定期更新ですが、『スティッキー・フィンガーズ』こちらより全編を500円でご購入頂けます。何卒よろしくお願い申し上げます。instagram @harauru
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2016年2月9日火曜日

病める魂


 
 
 つい最近、ユーチューブに92年に名古屋クアトロで行われたニルバーナのライブ音源がアップされていて、それを聴いた。ニルバーナに初めて出会ってもう20年以上経っている今のぼくだけど、それは何だか初めて聴くバンドみたいに新鮮で衝撃的だった。

 

 92年というのは多分、バンドにとって絶頂からすべり落ちつつある時期だと思うのだが、その演奏は、活きたバンドのそれだった。全部知ってる曲だったけど、初めて聴くみたいに新鮮だった。明らかにCDなどの音とは違う。

ニルバーナ、カートコバーンに関してはもうこれまで、散々本も読んだし映画も見た。いろんなうわさやゴシップなんかも聞いたりした。でも、それら全部をひっくるめてもこのライブから伝わってきたものは全く違うものだった。彼について今まで感じたことのない新しい感覚。



 彼は、ほんとに注目されたり有名になったりするのに耐えられないタイプだったのではなかろうか。まあ、言い古されたもっともポピュラーな感想かもしれないが。

ただぼくは改めて、彼は、本当に純粋に演奏して、バンドで歌いたかっただけなのではないか。と、感じた。



 元セックスピストルズのジョンライドンが彼について言及していた。

奴は子供もいたのに自殺なんかしやがって。なにが病める魂だ。そんな奴を英雄視するのはとても馬鹿げている、と。

 それを聞いてぼくもなるほど、と思ったし、ぼく自身数年前からそんな風に思ってもいた。そしてニルバーナの音楽を利己的で幼稚なものに感じるようになり、あまり聴かなくなっていたし、聴いてもあまり心に響かなくなっていた。

それが、今回突然アップロードされた当時のライブを聴いてみたら、まるで死んだはずの彼がそこにいるかのように、彼の思いや感情みたいなものがビンビン伝わってきた。純粋に、演奏しているときの彼は子供がいたとか病める魂、数々の奇行や問題行動などとは全く無縁だったのではないか。



 そもそもぼくはニルバーナが嫌いだった。まだ十代の頃、当時よく遊びに行っていたクラブなどでよくかかっていて、みんな凄く盛り上がっているのだが、もともとハードロックやヘビメタが嫌いなぼくはニルバーナの音楽は全部そんな風に聴こえ、いったい何がいいのかどこが新しいのか、さっぱり分からなかった。

でもそれから何年かして、世界周遊一人旅に出た旅の途中、忘れもしない秋の中国の肌寒い田舎町の安ホテルで一人、町の小さな海賊版しか売っていないレコードショップで何の気なしに買ったニルバーナのカセットテープ(20年ほど前で当時はカセットテープしか売ってなかった)を、少し早回り気味のこれまた中国製のポータブルカセットプレイヤーで聴いたとき、ニルバーナの曲が、カートコバーンの歌声が、そのときのぼくのこころに不思議なぐらい染み渡ったのだ。

さびしくて、不安で、先の見えない旅だった。知り合いも誰もまったくいない秋の中国東北部の田舎町。枯れ木の立ち並ぶレンガ色の建物のむこうに、見たこともないぐらいおおきな濃いオレンジ色の夕日が沈んでいく。その夜、ホテルの部屋のベッドで、ぼくはひざを抱えてニルバーナを聴いていた。

それ以来、その後の旅の道中、本当に擦り切れるぐらいそのテープを聴き続けた。彼らの音楽やスタイルの新しさというものはそのときもあまりピンと来なかったが、ただ、彼の歌声と演奏は、確かにぼくの心に響き渡った。



 そして今回、冒頭のユーチューブを聴いたら、その当時の感覚とはまた違う、まったく新しい、むしろいきいきとした快活で新鮮な印象を感じたのだ。悲壮感などまったく感じさせず、本当にステージを楽しんでいる様を。そんなカートコバーンの印象はこの20年で初めてのことだったので、ちょっと衝撃を受けた。病める魂も、ベッドでひざを抱えているぼくも、そんなものどこにもいなかった。



 この世に何かをやりにくる為だけに生まれてきた人というのは、本当にいると思う。それしかやれない人というか。他のことはまったく何にもできないけど、あるひとつのことをやるためだけに生まれてきた。地上に降りてきた。



 カートコバーンという人は、まさにそんな人だったんではないだろうか。

 

 病める魂。己のアートに殉死した悲劇の英雄。



 そんな周りの感想よりもなによりも、彼はただ、純粋に、ステージの上に立っているべき人、立つしかなかった人なのではなかったのかと、ぼくはそう思うに至った。



  
  




2012年1月29日日曜日

『革ジャン考察』


僕は特に革ジャンが好きというわけではないのですが、気がついたら最近結構のめり込んでおりました。

そもそも僕が革ジャンに最初に興味を抱いたのは、中学ぐらいのときですかね。

パンクロックを知ったばかりの僕にとって、パンクロッカー達の着ていた黒い革のライダースジャケットは、まさに反抗のシンボルというか、不良っぽくて、攻撃的で、とにかく強烈に惹きつけられました。

ダブルの、襟のついた、ジッパーの目立つやつです。

今でこそそれがルイスレザーに代表されるいわゆる「ロンジャン」と呼ばれるものだということは当然の事実として知られておりますが、今から20年以上前の当時はそこまでパンクファッションというのは一般的ではなく、まだそれぞれが手探りで真似をしていたような状態だったので、とにかく黒くてダブルでジッパーで閉まるようになっていたら、もう、「ライダースジャケット」だったのです。

当時、一番それに近かったのが、ショット社の618というモデルでした。

ワンスターと言われる613の星のないやつです。

ワンスターは実際ラモーンズのメンバーがデビューからずっと着用しているモデルで、そのシンボルアイコンとして永遠の定番になってはいるのですが、当時の僕にはワンスターもクラッシュのメンバーが着用していたルイスレザーも同じで、区別なんてつきませんでした。

正直に告白すると、本当、ここ数年です。ルイスレザーなんて知ったの。数年前から何故か流行って、そのブランド名を耳にするようになり、「あ、そうだったのか」と。

よく見ると違うな、と(笑)

で、実際比べてみると、全然違うんですね。

まず、ショット社に代表される「アメジャン」と呼ばれるモデルは、着丈が短く、身幅もややゆったり目で、ウエストに大きなバックルのついたベルトがついている。

ルイスレザー社に代表される「ロンジャン」と呼ばれるモデルにはウェストバックルはなく、着丈も長めでシェイプも全体的にタイト。

なるほど、ルイスの方が今っぽく、スタイリッシュに着こなせます。

その違いは何なのかなーと、ぼんやりと日々、僕なりに考えていたら、ある結論に達しました。

まず、「ライダースジャケット」とはバイクに乗るために作られたレザージャケットであること。

これはバイクに乗っていると良く分かるのですが、まず、風の進入を防ぐためにダブルの合わせを頑丈なジップで完全に閉じる。そして袖口もジップによってよりタイトにフィットさせ、何より転倒した際に体へのダメージを最小限にとどめられるよう、全体を頑丈な革で仕上げる。

それぞれに意味があって、必然性と機能性を考慮してできあがったデザインなのですね。

そうやって生み出されるデザインというのは、ジャンルに関わらず根源的な美しさのようなものを秘めており、なるほど、ライダースジャケットがかっこいいという理由が良く分かりました。

より安全に快適にバイクに乗れるように開発されたジャケットが「ライダースジャケット」なのです。

これは全てのライダースジャケットに共通する大まかな特徴ですが、では、アメジャンとロンジャンのデザインの違いはどこから来るのか。



これはもうひと考え必要でした。



それは…、



乗るバイクの違いです!



これをいちから説明するにはバイクの話になってしまってこれまた長くなりそうなので別の機会に譲るとして、ここでは簡単に、バイクにもアメリカンとブリティッシュとの違いがあることを説明しようと思います。。



まず、ハーレーダビッドソンに象徴されるアメリカンバイクは、当然アメリカの広大な大地を走るために開発され発達していったバイクです。そしてそれに乗るために作られたのがアメリカンライダースジャケットなのです。

アメリカの広くてまっすぐな道を何マイルも走り続けるわけですから、当然排気量は大型化し、疲れないようにポジションは直立、足の位置も前輪に近い前方の位置で、椅子に座っているような格好で乗車します。

なので、ジャケットの着丈は短く、そんなに高速で飛ばすわけでもないので着心地も若干ゆったりとした快適性を優先したスタイル。

反対に、トライアンフ、BSAなどに代表されるブリティッシュバイクは、イギリス、とくにロンドンなどのじめじめした市街地を走ることを前提に開発されており、さらに当時のタンナップボーイズと呼ばれたロッカーズという若者達はそれらのバイクで最速を目指してハンドル位置を低く、それに合わせてステップは後方に、さらに狭い街をぎりぎりですり抜けるため車幅はできる限り狭く、といった風にそれらのバイクをカスタマイズしていったのです。

カフェレーサースタイルの誕生でした。

そういったカフェレーサー達の要望にフィットするように作られたのがいわゆるロンジャンなのですね。

突き詰めていくと本当に目から鱗が落ちるというか感心させられるのですが、まず着丈が長いのは前傾姿勢で腰が出ないため、そしてベルトバックルが省略されているのは金具がバイクのタンクを傷つけないようにするため。そして各部に配されたポケットもそういった姿勢で使いやすいように、また、グローブをつけたままでも開閉しやすいようにボールとチェーンで作られたジッパー、さらに象徴的な左腕に配されたチケットポケットはハイウェイチケットを右手で素早く収納できるようにするため…。

等々、挙げだしたらキリがないのですが、決して装飾性だけの理由ではなく、実用性から生まれた機能的なデザインの結果なのですね。

そういう意味では、どちらかというと土地柄も街の作りも近いイギリスタイプの方が日本人のライフスタイルにも近いような気がするので、現在タイトですっきりとしたルイスレザーがスタイリッシュで人気があるのも頷けるのですが、ショットなどのアメジャンはアメジャンで、そのスタイルの生まれた背景がしっかりと存在し、それを理解すると、また一見野暮ったく見えるそのスタイルにも格好良さを見いだせるのかも知れません。



そもそもがライダースジャケットとはアメリカで発祥し、50年代当時マーロンブランドが出演した映画「乱暴者」で着用していたのがショットタイプのアメリカンジャケットで、イギリスの反抗的な若者達はそれに共鳴し、同じタイプのジャケットを欲しがり、その声に応えたモデルとなったのがルイスレザー初のライダースレザージャケット「スーパーブロンクス」(現在出品中!)で、後のライトニングやサイクロンといった人気モデルは、その後、60年代~70年代に上述のように発展していった結果のスタイルとなったわけで、もともとはアメジャンタイプこそがライダースジャケットの元祖と言えるのですね。

また、音楽に関してもロッカーズ達はそのスタイルと同じく50'sアメリカンロックンロールを愛し、夜な夜なカフェでツイストアンドシェイクをしながら女の子をナンパしては超高速公道レースに明け暮れていたわけですが、時代も進んでいくと、それらのスタイルを古くさいものと否定し、グリースべたべたのリーゼントとは対照的にマッシュルームの短髪で派手にデコレートしたベスパやランブレッタなどのスクーターを駆る「モッズ」と呼ばれる若者達が台頭し、その後全面抗争へと発展していき、ロッカーズ達が愛したロックンロールやそのスタイルは廃れ、その代わりとしてビートルズやローリングストーンズ、ザ・フーといった新しい世代が全世界を席巻していくこととなりました。


ビートルズなども初期はロッカーズ達のように頭をグリースで固め、革ジャンを着込んだ英国式ロックンロールスタイルバリバリだったのですが、彼らを世界へと知らしめた希代のプロデューサー、ブライアンエプスタインが、当時新しくムーブメントとなりつつあった前述のようなモッズスタイルを彼らに取り入れ、そして世界中の誰もが知ることとなったマッシュルームにぴったりフィットのスーツスタイルが生まれることとなったのは実は一般的にはあんまり知られていないのかも知れませんね。

その後、さらにそれら全部を否定するようにパンクロックとそのファッションが生まれるのですが、その時に再度取り上げられたのが、ライダースジャケットなのです。

その反逆する姿勢の象徴として。

それらをバックボーンにして近年の日本でのパンクムーブメントが生まれ、現代に至っているわけで、まあ、確かにロンジャンが主流の現在ですが、僕は、ショットなどのアメジャンも、同じぐらい、もしくはそれ以上、愛しているのです。(ビンテージショットも出品中!!!)



そもそもパンクロックの発祥は70年代初頭のニューヨークドールズやラモーンズ、パティスミス、ストゥージーズと言われ、今度はマルコムマクラーレンというブライアンエプスタインに匹敵する仕掛け人により、これまたイギリスに輸入される形で独自のスタイルに仕上げられたので、その元祖であるラモーンズが着用していた60年代70年代のショットワンスターこそが究極のパンクロックライダースである!(しつこいようですが出品中です!!!)と、今のロンジャン全盛の世の中に声を大にして主張したいわけですが、まあ、そんなことはどうでもいいでしょう。



以上、長くなりましたが要は僕の出品物をお願いしますということです(笑)



この勢いで、今後、僕の所有する2台のバイク(不動)を含め、バイクについてもまた語らせてもらおうと思いますので、お時間のある方は何卒またおつきあいの程よろしくお願い申し上げますm(__)m



2011年11月1日火曜日

のーふゅーちゃー in '69




「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」という若松孝二監督の映画を、たまたま観た。 

途中からだけど。 

あさま山荘事件てのは有名で、当然僕も知っていて、それに関する本や映画もいくつかみたことはあったのだが、どうやらちょっと勘違いしていたようだ。 

山荘に閉じこもって機動隊とやりあった有名なシーンというのは実はこの事件の最終局面で、むしろ凄惨で残酷なのはそこに至る何ヶ月かの山小屋での閉鎖的状況での軍事訓練を兼ねた共同生活。 

この映画では題名通り、その道程が詳しく描かれていた。 

「総括」と「自己批判」の名の下にエスカレートしていく私刑、集団暴力。 

誰もが違和感を感じているのに操られ、そこから抜け出せない共同幻想。 

警察から追われる恐怖、や、仲間内での不信感、焦り、色んな物がないまぜになってその幻想はふくらみ、どんどんどんどん暴走していく。 

何だかそんなひょっとしたら今までの人生、学校生活や社会生活において味わったことのあるような、そんなひしひしとした身近な恐怖がじりじりと伝わってきて、ちょっとどきどきしてしまった。 

非常に陰惨で残虐。簡単に人というか、仲間が殺されていく。 



そんなに昔のことじゃない。自分の親ぐらいの年代だ。自分の親が若いとき、日本ではそんなことが同時におこっていたのだ。 



革命、革命、というけれど、彼らは一体、何をしたかったのだろう。 



どうしてチェ・ゲバラやフィデル・カストロのように、共産主義革命を達成できなかったのだろう。 



どうして葉巻をくわえた軍服のゲバラはあんなに知的でかっこいいのに、地味な服装をした化粧気のない永田洋子はあんなにもブスで、森恒夫はとうてい革命家とは思えないほど知性の欠落したヒステリックな芋みたいな表情をしているのか。 



よくわからないが、何だか上のグロテスクな絵が、その本質を全て表現しているようで、思わず貼ってしまいました。 



でも、こんなことは多かれ少なかれ日本という村社会の中で、起こっている気がする。 
僕が感じた身近な恐怖とは、いわゆるそういうことだろう。 
集団の中で孤立することのできない日本人。 
正しいことを言う、勇気。 

果たして僕があの場所にいたならば、意義を唱えられたろうか。 

いや、絶対に無理だな。 

そして、順番に回ってくる死を、ひたすら怯えながら、ふるえて逃亡の機会をうかがい続けていたことだろう。