『スティッキーフィンガーズ』

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2012年8月27日月曜日


 月が、三人の頭上でひっそりと輝いている。智はぼんやりとそれを眺めた。

 月は揺れているようだった。微妙に振動して光の波動を発しているのだ、と何となく智はそう思った。そして、その銀色の波動を自分は今全身に浴びている、と想像すると、今ここでこうして歩いているだけのことが凄く素晴らしいことのように思えてきて、自然と幸せな明るい気分になるのだった。そして全く異国の土地で、日本では全く見ず知らずだった日本人と偶然出会い、共に歩いているということが、まるっきり運命的で奇跡的な出来事に感じられ、智は妙に感動してしまうのだった。


「俺、直規と心路に出会えて良かったよ」


 二人に向かって唐突に智はそう言った。


「何だよ、突然」


 直規が智の方を向いて言った。


「だってこんなインドみたいな広い国でもう何回だっけ? 三回目? 三回も再会してだよ、今こうして歩いているのなんて本当に凄いことじゃない? 
 俺は今、運命を感じていたんだよ。だってお互い日本にいたら絶対会うことなんてなかっただろ? 住んでる場所も全然違う訳だし。なのに、旅っていう唯一共通する行為によって俺達は結び付けられている訳で、それって奇跡に近いことっていうか、もう奇跡じゃない? だからさ、こういうのって何かの縁だから大切にしなきゃって思ってたんだよ、どう、そう思わない?」

「智、お前もキマリ過ぎだよ、ちょっと落ち着けよ、何言ってるか分かんねぇよ」


 直規がそう言った。


「でも俺は、何となく智の言いたいこと、分かるような気がするな」


 微笑みながら心路はそう言った。しかし智は、二人の言うことにはあまり耳を傾けず、ひとり、満足そうに感慨に耽るのだった。
 



 三人は、もう町の入り口まで来ている。そこの細い裏通りを一本抜けると、明るい表通りに出る。しかし表通りといっても小さな町なので、三人並んで歩いていたらもう人とは擦れ違うことのできないぐらいの道幅だ。店も、ツーリスト向けの土産物屋がポツポツと開いているぐらいで、人通りもあまりない。


「夜は寂しい感じだね」


 智はぽつりとそう言った。


「ああ、昼間は人も多くて賑やかなんだけど、夜は店閉まるの早いしな。九時ぐらいには人気もなくて本当に静かだよ」


 直規が周りを見渡しながらそう言った。

 雑然とした町並は、他のインドの町の風景とあまり変わらない。ヒンドゥー語と英語の混ざった看板がそこいら中に見受けられ、町の様子をより雑然としたものに見せかけている。かなりごちゃごちゃとした町並みだ。ぽつん、ぽつん、と灯る街灯は、埃っぽい通りを余計に薄暗く、寂しく染めている。


「心路、どっちだっけ? クリシュナ・ゲストハウスって?」

「もう一本向こうの道を右に入るんだよ」


 指を差しながら心路はそう言った。


「良く分かるよなぁ。心路は本当にこういうの得意だよな」

「直規君が方向音痴なだけだよ」

「いや、お前が詳しすぎるんだって。だって一回歩いたらもう絶対その道忘れないじゃん」


 心路は、そんな直規の意見をよそにスタスタと歩いて行く。


「あ、ほら、ここを右に曲がるんだよ」


 心路がそう言った道というのは、殆ど人一人通るのがやっとというような細い道で、普通なら決して立ち入ることのないような所だった。


「何でこんな道覚えてんだよ」


 直規は、信じられない、という風にそう言った。


「見てみなよ、直規君、そこに書いてあるよ、ほら」


 そう言って心路が指したその先には、壁にペンキで小さく、クリシュナ・ゲストハウス、と矢印が書かれていた。


「分かんねぇよこんなの。こんなんで客来るのかよ? 絶対これ見て来る奴なんていないだろ?」

「だから、ここの奴らはツーリストにドラッグ捌いて儲けてるから、宿泊客なんて来なくたっていいんだよ。それに、放っといても買いに来た奴らがそのまま泊まっていったりするんだから」


 直規は、成る程な、という風に納得しながら道を曲がった。

 少し坂になったその道をちょっと行くと右手に低い門と柵があって、そこにアルファベットで「クリシュナ・ゲストハウス」と書かれていた。門の内側には小さな庭があり、L字型になった二階建ての建物は明るいベージュ色に塗られていて、見た感じは小ざっぱりとして、悪くはなかった。正面にいくつか見られる緑色の木の扉には番号が記されており、そこが宿泊用の部屋だということを表している。庭に生えている二本の木の間にはハンモックがあって、それが風で少し揺れていた。ひっそりとしていて人気はない。


「心路、本当にここなんだよな? 誰もいる気配がしないぞ」

「確かにここだよ。多分中にいるんじゃないのかな? この間来たときもこんな感じだったし」

「本当かよ? ところで今何時?」


 直規は心路にそう尋ねると、心路が、時計持ってない、という風に首を振ったので、すかさず智の方を振り返った。智はそれに気が付くと腕時計を見て、八時四十分、と言った。


「ちょっと遅くなったかな」

「大丈夫だよ」


 心路は気に留める様子もなくそう言うと、柵を開けてずかずかと中へ入っていった。そしてゲストハウスの入り口の扉の前まで来て、二三回軽くノックした。返事は無い。


「いないのかな?」


 少し緊張して智がそう言った。しかし扉の隙間から洩れてくる光で、中に灯りのついていることは分かる。


「いや、灯りがついているから多分いるとは思うんだけど……」


 そう言うと心路は、続けざまにまた何回かノックした。しかし何の応答もない。扉をノックする音が、静まり返った空間に響き渡るだけだった。


「やっぱり時間、間違えたんじゃねぇの?」


 直規が、責めるように心路にそう言った。


「いや、そんなことはないと思うよ、確かにあいつ八時って言ってたよ」

「じゃあ、俺らが遅かったからどっかに行っちまったっていうのか?」

「分かんないよ」


 二人の言い合いが発展しそうになるのを見かねて智が割って入った。


「ちょっと待ってよ、今そんな言い合いしたってしょうがないだろ?」


 二人は、智のその言葉に少し冷静になってお互いを見返した。


「どう、出直す?」


 と、智が言ったその時、二階の部屋の一つに灯りがついて誰かが出て来るのが見えた。暗くて良く分からないがインド人らしく、その男は、三人の様子を二階から眺めながら英語で、どうしたんだ、何か用か、と尋ねてきた。それに気付いた直規が、シバに会いに来たんだが、と答えると彼は、ああ分かったちょっとそこで待ってろ、と言って部屋の中に姿を消した。



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